恩師との日々

もうあっという間に4月も終わり。皆様いかがお過ごしですか。
私は無事に博士課程に入ったわけですが、蓋を開けてみると授業が本当に少ないです。(当たり前か。)なので、それにかまけて仕事をしたり遊んだりしていると、本当に何にもならなくなってしまう!ということに(トモダチコレクションをしながら)気づき、ようやく「自走」しようと、日々本を読んだり、私が音楽家として「映像研究科」に在籍する意味だったりを考えながら、日々、「時間の余白」と奮闘しています。(時間の余裕と、心の余裕はイコールではないのですね…)
博士課程では、フランス語の学習と図書館の利用のために、上野校舎に出没しています。(履修登録忘れないようにしなきゃ…)ただいま、という気分。

私は、もう数年前から音楽教育にずっと興味を持ち続けている人間なのですが、自分のことを少し覗いてみると、それは「学びを社会に還元したい!」とかそのような高尚な動機ではなく、単に「私を私自身で教育し直したいからだ」だと思っています。2月に作曲の恩師にお会いした際に、話の流れで「学部時代作曲がうまかった人たちは、その後作曲を辞めてしまう人も多いけど、劣等生は泥臭く続けていることが多いね〜」なんて先生が仰っていたことが記憶に新しいですが、まさしく私こそその典型なのかもしれません。(フランス語もできないから泥臭く続けてるし…)まだまだ音楽家として未熟で、時にはレッスンをしていただいたり、師に教えを乞うことをお願いする身でありますが、今まで授かった教えをもとに、自身で道を探さなければいけない年齢でもあります。だからこそ、音楽教育に興味があるのだと思っています。
そんな私ですが、年齢的なこともあって、他者に「教える」立場にしばしば身を置くようになりました。本を読んだり教えたりすることを通じて、かつてお世話になっていた師たちがおっしゃっていた(いる)ことが10年越しに腑に落ちる瞬間に恵まれることがあります。私にはピアノ、作曲、ソルフェージュと本当に多くの恩師がいますが、とりわけ高校時代にお世話になった先生方には様々な「学びの種」を蒔いていただいたなと、感謝してもしきれないものです。
写真は2月にお会いできた高校時代からの恩師である小倉先生(作曲の道に導いてくださった先生です。焼肉ごちそうさまでした!)、今の担当教員の長嶌先生(映画音楽や現代音楽の道に導いてくださった先生です。)と。


大学院に入る前、修士で全く違う世界に入ることになったと不安に震えていた私。不安なんです〜…と小倉先生や長嶌先生に打ち明けた時に頂いた、「変わらなくて安心したよ。大丈夫、あなたはずっとそうやってやってきたから」という小倉先生からの温かいお言葉と、「修士出る人に言うような言葉になっちゃうけど、あなたは自分の音を信じてやっていけば大丈夫だから」という長嶌先生の励ましは、今もなお、自身を奮い立たせる勇気の源になっています。 

話は研究の話に戻りますが、博士課程での研究は自由度が高く、霧や樹海の中にいるような気分(方向性がわからなくなる)です。しかし、幸いなことに研究対象のケージやウィレムスが方位磁針のような役割を担ってくれています。いやはや、それにしても30までは勉強しようと大学に入学した時点で既に思っていた訳ですが、まさか本当にこのこの年まで学校に行っているなんて…。不勉強が祟った結果か…?と恥ずかしくも思いますが、この歳になっても学びの場に身を置くことができるのは本当に恵まれていることだとつくづく思っています。ようやくこの数日で、博士論文に向けた研究テーマが自分の中で具体的に少しずつ固まり始め、「音楽教育」に興味のある「音楽家」が「映像研究科」で「研究」する意義の兆しが見え始めたように思っているところです。うまく進めば、少しは社会に還元できそうな内容になると思います。どうか、うまく進みますように